Football+

New

用語辞典・コラム

高校サッカー選手権の名将たちの指導哲学を調べてみた

高校サッカーの強豪校には、かならず「あの監督のチーム」という顔があります。選手権のたびに名前を聞く監督たちは、どんな考えでチームをつくっているのだろう。そう思って、黒田剛監督、本田裕一郎監督、小嶺忠敏監督の3人について調べてみました。

すると、意外なことに気づきました。3人とも、最初から順風満帆だったわけではないんです。それぞれが苦しい時期や大きな決断を乗り越えて、自分だけの「強さ」の形を見つけていました。この記事では、その歩みを私なりにまとめてみます。

※監督たちの考え方は、インタビューや記事から読み取れる範囲で、要約してお伝えします。「強さのコンセプト」という言い方は、私が受け取った印象です。

黒田剛監督(青森山田):楽な道に逃げない、全員で戦う組織

青森山田を率いたのは、1994年からの約28年間です。就任したころの部員は18人ほど。グラウンドはサッカー、ラグビー、ハンドボールで3つに分けて使う状況だったそうです。

そんな黒田監督が、のちに「あれは逃げだった」と振り返っている出来事があります。雪の降る冬に、体育館での練習に切り替えたことです。体育館は手軽ですが、狭い場所での練習では、試合で必要な動きが身につかなかった。その悪い癖に気づくまで、約10年かかったと話しています。雪の中でのサッカーに戻してから、チームは強くなっていきました。

その後の実績は、広く知られているとおりです。インターハイ2回、プレミアリーグ3回、全国高校サッカー選手権3回(2016年、2018年、2021年)の優勝。そして2022年に青森山田の監督を退任して、Jリーグ・FC町田ゼルビアの監督になりました。

町田での歩みも、まさに「ストーリー」です。

  • 2023年:就任1年目でJ2優勝、クラブ初のJ1昇格
  • 2024年:J1初挑戦で3位(初昇格のチームとして歴代最高)
  • 2025年:J1は6位。天皇杯の決勝では、ヴィッセル神戸に3対1で勝って、クラブ初のタイトルを獲得
  • 2026年:移行期の特別大会「J1百年構想リーグ」で、東地区3位から総合5位。さらに、アジアの強豪が集まるACLエリートに初参戦して、決勝まで進出
  • 2026/27シーズン:ACL2(AFCチャンピオンズリーグ・ツー)に出場。9月17日のグループステージ初戦(ホーム)では、カンボジアのスヴァイリエンに2対0で勝利

とくに印象的なのが、ACLエリートです。
準決勝では、UAEのアル・アハリ・ドバイに1対0で勝ちました。終盤には相手のゴールが取り消される場面もあり、ヒヤヒヤする展開だったようです。そして2026年4月25日、サウジアラビアのジェッダで行われた決勝の相手は、前回王者のアル・アハリ・サウジ。町田は0対1で延長戦の末に敗れ、アジア初制覇はあと一歩で逃しました。報道によると、黒田監督は試合後、無失点で戦い抜いた選手たちを評価しつつ、ゴール前での一瞬の集中力の差を悔しがったそうです。勝負の細部にこだわる姿勢が伝わってくる言葉だと感じました。

そして今も、黒田監督は町田の指揮を執りながら、アジアの舞台に挑戦し続けています。

黒田監督の「強さ」を、私は**「全員で同じ方向を向く力」**だと受け取りました。
選手権のときも、相手の分析、映像の編集、リスタート対策などを、スタッフに役割分担して任せる。そして、自分の考えをスタッフ全員で共有する。高校でもプロでも、軸は変わっていません。町田の記事では、若手とベテランが互いに刺激し合うチームづくりや、優勝は結果であり、大切なのは常に勝ちを目指す姿勢と準備だ、という考えが紹介されていました。

本田裕一郎監督(習志野・流通経済大柏):変わり続けることが、強さ

本田監督は、最初から名将だったわけではありません。28歳で、新設の市原緑高校へ。サッカー部には選手がおらず、野球やバスケットの経験者を集めて、14〜15人でスタートしたそうです。当時はスパルタ指導で、負けたら夜中まで練習。それでも、インターハイに出られたのは7年目でした。

転機は、名門の習志野高校に移ってからです。県内には強い市立船橋がいました。そこで本田監督が選んだのは、「相手と180度違うこと」。スパルタをやめて、厳しい練習を嫌う選手も集めて、自由なスタイルを追いかけました。その結果、9年目の1995年にインターハイで全国優勝しています。

大きな決断は、その後です。2001年、53歳のとき、県の教員を辞めて流通経済大柏高校へ。校庭はラグビー場で、サッカーには向いていませんでした。退職金を使って、選手と格安のマンションで共同生活をして、自分でU字溝をつくり、石拾いもしたそうです。2007年には選手権で優勝しました。

本田監督の「強さ」は、**「変わり続けること」**だと思います。
「カメレオン」とからかわれても、基本は変えず、やり方は学びながら変える。育成年代の話を聞いた記事でも、守るべきものと、変えるべきものを見極める「不易流行」という考え方が語られていました。当時は「365日練習」が誇りだった時代に、早くから月曜を休みにしていたのも、その表れかもしれません。

小嶺忠敏監督(国見):当たり前を、徹底してやりきる

小嶺監督は、1968年に島原商業で指導を始めました。最初の部員は13人。当時、九州のチームは全国大会で1勝するのも難しい時代でした。それでも1977年に、長崎県勢で初のインターハイ優勝を果たします。

そして1984年、国見高校へ。周りからは「なんであんな高校に」と言われたそうです。校庭は野球部が使っていて、借りたグラウンドは草だらけ。自腹で約5万円のゴールを買い、海苔の養殖用の網をネット代わりにしたといいます。県外から来る選手のために、自宅の2階を寮にして、毎日の食事は奥さんとお母さんが世話をしました。

そこから国見は、選手権で6回の優勝(1987年、1990年、1992年、2000年、2001年、2003年)を重ねます。

小嶺監督が大切にしたのは、**「当たり前を、徹底してやりきること」**でした。
サッカーの技術より先に、挨拶、時間を守ること、身なりを整えること。高校サッカーの指導は、まず人間教育だという考え方だったそうです。技術面でも、教え子の話によると、ロングキックの練習を毎日30分近く続け、攻守の切り替えを繰り返し求めたといいます。派手ではないけれど、地道な積み重ねでした。

もうひとつ、印象的な決断があります。国見を定年退職した翌年の2007年、小嶺監督は参議院選挙に立候補しました(結果は落選)。その後は、長崎総合科学大学附属高校で、再び指導者の道へ。2021年12月に最後の公式戦で指揮をとり、2022年1月に76歳で亡くなりました。最後の最後まで、現場で指揮を執り続けた人でした。

3人を並べて見えてくること

3人の「強さ」は、こうして並べるとまったく違います。

  • 黒田監督:全員で同じ方向を向く、組織の力
  • 本田監督:変わり続ける、柔軟さ
  • 小嶺監督:基本を積み重ねる、徹底力

けれど、共通点もありました。それは、「何を貫いて、何を捨てるか」を、自分で決めてきたことです。黒田監督は「楽な道に逃げない」を、本田監督は「やり方にはこだわらない」を、小嶺監督は「当たり前を欠かさない」を、苦しい時期のなかで選んでいます。

まとめ:次の選手権は、監督の「らしさ」にも注目してみよう

選手権のピッチでは、選手たちの活躍に目がいきがちです。でも、その後ろには、監督が長い時間をかけてつくってきたチームの形があります。次に観るときは、ベンチの監督の姿や、チームの戦い方に、その「らしさ」を探してみてください。

そして、指導者の方や、人を育てる立場の方は、「自分の強さのコンセプトは何だろう」と考えるきっかけにしてみてはいかがでしょうか。3人の名将も、それを見つけるまでに、長い時間がかかっていました。


主な出典:

  • 黒田剛監督:リアルスポーツ「青森山田・黒田剛監督が明かす、その強さの背景」、Qoly「体育館練習に逃げてた…」、Wikipedia、サッカーキング(2025年12月6日)、サッカーキング(天皇杯、ACLE準決勝、ACL2)、JFA(ACLE決勝)、フットボールチャンネル(2026年4月26日、8月6日)、GOETHE「黒田剛、常勝軍団になるためのマネジメント術」
  • 本田裕一郎監督:致知出版社『致知』2012年7月号(WEB chichi)、リアルスポーツ「元流経大柏・本田裕一郎が求める育成年代の不易流行」、Wikipedia
  • 小嶺忠敏監督:スポーツナビ「国見で高校サッカー選手権6度の優勝」、Sportiva(2022年12月28日)、サッカーマガジンWEB、Wikipedia

RELATED

TOP