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用語辞典・コラム

なぜサッカーの試合は「ビジネスのPDCA」より残酷なのか?観戦から学んだ組織論

会議室で「PDCAを回しましょう」と言われるとき、そこには暗黙の前提がある。Plan(計画)を立てる時間があり、Do(実行)した後にCheck(検証)する猶予があり、Action(改善)を次のサイクルに持ち越せる、という前提だ。

サッカーの試合を観ていて、あるとき気づいた。この競技には、その前提がほとんど存在しない。監督が下す判断は、その場で結果が出て、その場で「正解だったか間違いだったか」が可視化される。しかも、やり直しはきかない。ビジネスの意思決定よりもずっと残酷な仕組みの中で、監督たちは采配を振るっている。

サッカーの「交代枠」は、ビジネスの意思決定より過酷である

2018年ロシアワールドカップ、決勝トーナメント1回戦の日本対ベルギー戦を覚えている方も多いと思う。延長戦にもつれ込んだ末、日本が獲得した後半終了間際のコーナーキック。しかし、そのボールはベルギーのGKクルトワにキャッチされ、そこから始まった高速カウンターで失点し、日本はベスト16で姿を消した。

あの瞬間、スタジアムにもテレビの前にも「何が起きたのかわからない」という空気が流れていたと思う。だが、後から試合を見返してみると、いくつもの改善点が見えてくる。コーナーキックのキッカーが利き足と逆サイドに立っていたこと、ボールの質、カウンターに転じられた瞬間の戻り方――。ひとつひとつは小さな判断の積み重ねだが、その結果は「W杯敗退」という、これ以上ないほど大きな形で返ってきた。

ビジネスの意思決定であれば、多くの場合、多少の”準備期間”がある。市場調査をし、シミュレーションをし、小さくテストしてから本格展開する。しかしサッカーの監督が交代カードを切る瞬間には、そんな猶予はほとんどない。残り時間、相手の疲労度、自チームの選手の状態――無数の変数を、数秒の判断で結びつけなければならない。しかも一度切ったカードは戻せない。Planにかけられる時間の短さと、後戻りのできなさ。この2つが、サッカーの意思決定をビジネスのそれよりも過酷にしている。

「うまくいかない采配」がその場で可視化される怖さ

ビジネスのPDCAでは、CheckまでにDoの効果が現れるための”タイムラグ”がある。施策を打っても、結果が数字に表れるのは1ヶ月後かもしれないし、四半期後かもしれない。その間に、言い訳や再解釈の余地が生まれる余地もある。

サッカーの采配には、このタイムラグがほとんどない。交代させた選手がミスをすれば、次のワンプレーでそれが失点につながることさえある。監督の判断の「正解・不正解」が、視聴者全員の目の前で、数十秒後には結果として突きつけられる。PDCAのCが、実質タイムラグゼロで下される世界だ。

これは、組織で意思決定をする立場にいる人間からすると、かなり残酷なことだと思う。自分が下した判断が、直後にスタンド中、あるいは画面の前の何百万人もの目の前で「失敗」として可視化される。そんな環境で意思決定を続けられる胆力は、ビジネスの会議室で求められるそれとは、質が違う気がしている。

監督は結果が出るまで「なぜそうしたか」を説明できない

もうひとつ、サッカーの采配が過酷なのは、判断の”理由”を先に説明する機会が与えられない点だ。ビジネスの場では、施策を打つ前に「なぜこの判断をするのか」を上司やチームに説明し、合意形成をしてから動くことが多い。理屈が先にあり、結果は後からついてくる。

サッカーの監督にはその順番がない。交代の意図も、システム変更の狙いも、試合が終わってから、あるいは結果が出てから初めて語られる。うまくいけば「さすがの采配」、失敗すれば「なぜあの選手を代えたのか」と、結果ありきで理由を評価される。論理より先に、結果が審判される世界だ。

2026年北中米ワールドカップの日本対ブラジル戦は、この構造がよく見えた試合だったと思う。前半は日本の戦術がハマり、ブラジルを押さえ込む時間帯が続いた。しかし後半、ブラジルを率いるアンチェロッティ監督は、戦術と戦い方をガラッと変えてきた。その采配がはまり、後半は日本が圧倒される展開になった。あの采配の”意図”がどこまで事前に固まっていたのかは、本人にしかわからない。だが、結果として後半の変化がすべてを物語っていた。理由の説明よりも先に、ピッチの上で答えが出てしまう。それがサッカーの監督が背負っている残酷さなのだと思う。

それでも采配を続けられる監督と、続けられない監督の違い

こうした過酷さの中で、監督たちはシーズンを通して意思決定をし続けなければならない。ここで分かれるのが、「一度の失敗で萎縮する監督」と「打席に立ち続けられる監督」の違いだ。

アンチェロッティのような監督を見ていて感じるのは、彼らが一つ一つの采配を「絶対的な正解」として振る舞っているわけではない、ということだ。むしろ、状況に応じて判断を変える柔軟さと、それでも決めるべき瞬間には迷わず決める胆力を併せ持っている。前半うまくいっていた自分たちのやり方を、後半にあっさり手放せる。それは「自分の判断への執着のなさ」であり、同時に「次の一手への自信」でもある。

これは組織論としても示唆的だ。一度の失敗、あるいは一度の判断の変更を「ブレ」と捉えるか、「状況に応じた適応」と捉えるか。結果がすべて可視化される残酷な世界で生き残る監督は、後者の姿勢を持っている人が多いように見える。

まとめ:PDCAより残酷な世界から、ビジネスパーソンが持ち帰れるもの

サッカーの采配は、ビジネスのPDCAよりも短い時間軸で、後戻りのできない判断を、結果に対する言い訳の余地がほとんどない状態で下し続ける営みだ。この構造を知ってから、自分自身の仕事の意思決定を振り返るようになった。

私は医療職として働いているが、この構造は決して他人事ではないと感じている。目の前の患者の状態に対して、その瞬間その瞬間でベストと思われる判断を下し、その結果を受けてフィードバックし、次の判断につなげていく。振り返る時間はあっても、その瞬間の判断そのものにはPlanをじっくり練る猶予がないことも多い。サッカーの監督が背負っている「その場で判断し、その場で結果を突きつけられる」構造は、医療現場をはじめ、現場で即断を迫られるあらゆる仕事の意思決定と地続きなのだと思う。

次に試合を観るとき、ぜひ監督の采配にも注目してみてほしい。その一つ一つの判断の裏には、会議室のPDCAでは味わうことのない緊張感がある。そしてその緊張感の中で判断し続ける姿勢は、自分自身の仕事における意思決定を見つめ直すヒントにもなるはずだ。

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